女性問題の難しさ 7月20日
訳あって「ずし女性プラン推進会議」議長になった。ここ逗子は10年ほど前(そう、もう10年も経ってしまった)池子の森米軍住宅建設問題で市が二分した。「森の緑」を守ろうとする緑派と、米国と日本政府が決めたことを反対しても無駄で、それならば条件闘争をして実を取ろうと判断した賛成派との間で綱引きをしたが、結局敗戦国の弱さで国側の方針は強引に通され、結果として米軍住宅は建った。この出来事は、逗子の歴史の中でも大きな事件で、逗子市民のアイデンティティーは無意識の部分で深く傷ついてしまった。社会的関心は強い逗子市民も、この事件の後所謂「祭りの後」と言う感じで、今一つ元気のない気の抜けた状態でいる。行政への関与も前ほどではなく、今回このHPで取り上げる「ずし女性プラン推進会議」も、前期4年は低調だったようだ。そこで、当時元気だった僕に起爆剤としての役割が廻ってきたという訳だ。
(逗子小坪港)
逗子市民の中では、女性問題に関しての表だったムーブメントは無い。この状況は逗子市民の多くが「逗子都民」と言ってもいいくらい、職場と住居が、それぞれはっきりと分化するベッドタウンとして生活している為だと思われる。勢い職場の矛盾やさまざまな問題は、住居としての「家」にまで持って帰らないと言う事になる。そして、平均的な生活水準は全国レベルから見ても高い。従って、中を割ってみれば厳しい状況が、かろうじて外に噴き出さずに均衡を保っている。その結果、家庭内の矛盾は隠蔽される。
ベッドタウンとしての家庭のスタイルは、大方妻が専業主婦で、夫は企業戦士?と言うものだろう。そこで、「ずし女性プラン推進会議」としての中心課題は、「主婦」というありようから出てくる矛盾であるところの家事・育児の役割分業化についての検討と言うことになりそうだ。これは、フェミニズムが提出した最も古典的テーマだ。表層としてはモダンなライフスタイルを取っている逗子市民も、フタを開ければエレー古臭い家族問題のテーマをかかえて皆生活をしているらしく、少し驚きだ。しかし、もしかすると役割分業化はフェミニズムの旗手達が言うように、近代家族が形成される過程で生まれた、とても新しい問題であり続けているのかも知れない。この課題を乗り越えることが、まさしく近代を超克することにもなるわけだから、その意味でとても深いテーマであることに間違いはないようだ。
いずれにしろ、少年犯罪の凶悪化・低年齢化を始め、引きこもり、いじめ等、家族に起因すると思われる負の行為を理解するには、女性問題への積極的アプローチが急務である。そして、女性の自立を押し進め、偏った女性への負担を軽減し、理想的な家族の在り方へ近づければと願う。こう言っている僕自身は男性なので、今言ったことがそのまま全部自分に跳ね返ってくる。結構しんどい。がんばるぞーー。