ダイエットする必要なし?  6月12日

 テレビのCMを見ていると、出てくる若いモデルのスタイルが、僕ら団塊の世代から見ると例外なくひどく痩せて見える。息子(16歳)に聞いてみた。「お前さ、今の若い娘、脚が細すぎて気持ち悪いんだけど痩せすぎじゃないか?」、「・・・・・・・」。息子は別段画面のモデルを、痩せ過ぎとは思っていないようだ。完全に「美」の基準がズレてるなと感じ、こりゃ少し修正しなくてはと、ジェネレーション・ギャップがどこから来るか考えてみた。辿り着いた結論だが、肉体の美の基準を規定するのは、僕らの無意識を構成する「生きることへの気構え」のようなものではないか・・・・?つまり、「美」とは理想を形にしたイメージとすると、僕らのジェネレーションにとってはアメリカ並の生活に近づくことが理想で、現実としては、貧しさを基準に据えた感覚から理想の体型を形作ることになる。そうして出てくる姿は、貧しさを示すイメージの値から、豊かさを示すイメージの値の方へ少しズレた点に像を結ぶ。つまり、無意識が豊かさの方へイメージを押し上げて美しい身体の理想像を結ぶと言うわけだ。勢い現実より肥えたモデルを僕の無意識は欲していたと思える。

  

  この推測の裏をとるには、アメリカ並の豊かさがイメージとして日本人の無意識の中に根付いたと思われる時点、つまり、高度成長が終わったと思われる時点以降に、急速に現在の痩せた?理想体型へと、美の基準点が移行したのではないかと思える。90%以上の日本人が中流だと感じ始めた時点が、痩せていることが真の豊かさの余裕としてイメージを固めた時点と言っていいのではないだろうか。これは、日本人の無意識が「貧しさ」からまさしく離脱した時点とも言い換えられる。下部構造(経済)が上部構造(精神)を規定すると言ったマルクスが喜びそうな結論だが、僕自身案外当たっていると頷いている。
 こう結論づけると、いちいち「気持ち悪い脚してんナ」とテレビ画面に向かって罵声を浴びせることも無くなりそうだ。

BACK