石原都知事の「三国人」発言   4月14日

 やってくれたよ!と言う感じで、石原慎太郎というよりあの世代に幻滅したと言うのが正直なところだ。マスコミ等であまり発言されていないが、僕自身はどういったシュチエーションで「三国人」発言があったかと言う点がとても重要に思える。どういうことかと言うと、日本における自衛隊の置かれている位置が、過去においても現在も不安定でとても国民全体から支持されていると思えない。このことが石原氏の民族意識と国家観、そして氏の優しさ?が手伝って自衛隊の式典でリップサービスとして口に出てしまった、というのが事の真実ではないだろうか。つまり「君らの仕事は、有事の際とても重要な名誉ある誇りの持てるものなんだ」ということを隊員に伝えたかったのだと思える。正直、今の自衛隊は継子扱い(これも差別用語か?)されているのは事実だ。しかし、仮想敵を「三国人」に設定するのは無理がある。だいいち過去において、我々日本人が「三国人」に対してどのような差別や迫害をし、そのことをどう反省してその不幸な歴史を今に活かしているか、といったことがすっぽりと抜け落ちている。そして、過去においてそのような愚挙を扇動したのは、当時の警察当局だったと言うことだ。彼らも仮想敵を「三国人」として不安という、防衛意識を成立させる心的要因を造り出したと言える。無論、テレホンカードを偽造したり、覚醒剤を売買したり、東京都内で起きた凶悪事件の約半数が石原氏の言う不法入国者であることは事実だ。しかし、一方で3Kと言われる職業が彼らを抜きに成り立たない事も又事実なのだ。この事にも触れなければ片手落ちだ。(実はこの「片手落ち」も差別用語であり、我々一般人でも言葉には細心の注意が必要だ。)いずれにしても「三国人」の持ち出し方は、過去においても今回の石原都知事にしても心理的構造は全く変わらないと言うことだ。僕自身若い頃、石原慎太郎氏の「孤独なる戴冠」を読み氏の感性に同調した経験もあり個人的には彼のナイーブな感性は好きだ。そして、新税制度も成功させてもらいたい。しかし、同時に巻頭で「世代に幻滅した」と言ったが、あの世代が死なないと事態は変わらないとまで思う。自分たちが犯した愚挙を引き受ける度量がないのは今も昔も同じなのかも知れない。寂しい話だがそれは事実だ。

 寂しい話が続いたので春の画像でも載せます。

逗子運動公園の桜

BACK