東海村放射能漏洩事故   10月1日

 座布団にけつまずいて、テレビの角に頭をぶつけ死んでしまう・・・・・・・思春期の頃、繰り返し持った自分の最期のイメージだ。

 今回のウラン加工施設「ジェー・シー・オー」の原始的ミスを知ったとき、一瞬懐かしいデジャブがよぎった。そう、かつて見た最期のイメージのことだ。雑巾バケツで、ウランを加工している様が恐ろしく滑稽で、まともなイメージが湧かない。久しぶりのデジャブの再現と同時に、もう一つ懐かしい記憶が蘇った。それは、人類史上初の月面着陸を成功させた、アポロ計画のNASAの安全対策のことだ。宇宙船に積み込まれたコンピューターは3システムで、一つ目が故障したら次のコンピューター、二つ目が故障したら三つ目と言う具合に、三重の安全対策が組まれていることに、当時の自分は痛く感心した。

 核分裂(核爆発)を操作する作業に使われる器具が雑巾バケツで、16sのウラン溶液ををいっぺんに沈殿槽に入れたら、核分裂が起きることを認識していない従業員。これが、僕らの国のコモンセンス(常識)だ。これは特異な日本の事態ではなく、日本そのものと言っていい。ニュースを見ていると、東海村の事件に続いて地下鉄サリン事件の実行犯横山被告の死刑判決、オウム教壇の転居騒動、そして、神奈川県警の不祥事、一見それぞれが別々の事件のようだが、実は全てが地続きだ。一連の事件に共通して見られる日本の最大のそして、致命的な欠陥は、以前このコラムでも述べたように、日本という組織を筆頭に、大小全ての組織が、その内部に自浄装置を持たないと言うことだ。欧米の持つ人間観が、性悪説に立っているため人間は、間違いや、常識では考えられない狂気を持つ、といった次元ではなく、僕ら日本人が持つ、全てをなあなあで済ます態度に根元的な欠陥があると言っていい。少なくとも欧米が牽引して発展して来た科学を日本も受け入れるとしたならば、科学知識を裏から支えてきた欧米の厳しい人間観(あるいは思想と言っていいかも知れない)も同時に導入しなければ片手落ちと言える。人間は間違いやミスを犯すものだとする人間観は、徹底したリカバーシステムを準備する。それは、会社組織も然り、政治・行政組織も然りである。麻原尊師は決して間違いは犯さないとするオウム教壇、盗聴を悪用するはずがないといった警察、そして、今回のウラン加工会社の大事故。日本という国家機構全てを根本から検証するときが、最終兵器にもなる核燃料によって皮肉にも余儀なくさせた今回の事件は、最終戦争となったはずの被爆体験を無にした愚挙と言える。僕らは今、ごくごく身近な、それこそゴミの分別収集やリサイクルを徹底することあたりから始めなければだめだ。言うまでもなくゴミの問題は、核の問題と地続きで、これが出来るかどうかに21世紀の日本はかかっている。

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