COLUMN

「銀河鉄道の夜」と夢の構造  2000年8月24日

 先日、岩手県の東山町で主催された宮沢賢治の特別講座に、息子(長男)が出席した。国民宿舎を利用した3日間の集中講座は、町おこしの一環として企画されたものだが、なかなかいい内容だったようだ。ここのところ、特に気になる人物でもあるが、このコーナーで扱うには手に余るが、少しだけ賢治の世界に立ち寄ってみたい。僕は職業柄ヴィジュアルに関わる者として、一見取るに足らないと思える細かなディティールに真意を読みとろうとしてしまう性癖がある。そこで、賢治の代表作「銀河鉄道の夜」のフィールドでも同じように小さなディティールに拘りながら足を踏み入れてみたい。

 「銀河鉄道の夜」は、その大半が夢のシチュエーションとして語られている。彼以外にも多くの作家が夢を描写しているが、彼ほどDream Language を巧みに言葉に置き換えている作家はいないと言い切れるほど、見事な表現がそれこそ綺羅星の如く並んでいる。夢を単に不可思議な物語の連続としてとらえるばかりでなく、その脈絡の断絶や転移そして短絡の仕方は、日々深く内省している人間でないと不可能な構成になっている。特に”鳥を捕る人”に捕られた鷺の形状のたとえは、形像的な夢の本質を的確に捉えている。

「・・・・・・それは見ていると、足が砂へつくや否や、まるで雪の融けるように、縮まって扁べったくなって、間もなく溶鉱炉から出た汁のように、砂や砂利の上にひろがり、しばらくは鳥の形が、砂についているのでしたが、それも二、三度明るくなったり暗くなったりしてるうちに、もうすっかりまわりと同じいろになってしまうのでした・・・・・・」(「銀河鉄道の夜」八 鳥を捕る人)

 見事としか言いようのない夢の形像場面だ。夢に関する書物の中でも、僕がピカイチと思える名著・吉本隆明氏の「心的現象論序説」に、この”鳥を捕る人”の表現の構造を適切に説明できる箇所がある。

 「・・・・・夢が形像のかたちであらわれることがあるのはなぜだろうか?おおくの夢についての考察が考えているように、ある時にある場面で実際に視た風景が、記憶された視覚像の断片として夢のなかで再現されるのだろうか?

 この問題についてなんの前提もせずに答えうる限りのことを云えば、夢の形像は、ある時にある場面で実際にみた形像とはまったく関係がないということである。また、もちろん記憶残像が再現されるのでもない。(中略)・・・つまり、意識が対象を受容し了解するという構造をたもちえないところから、必然的に与えられたものが夢の形像であって、いかなる意味でも視覚像ではありえない・・・・・・」(心的現象としての夢)

 そして、夢が短時間で一生をも描ききってしまうほど「深い時間」を持つのも、吉本氏の言葉を借りれば、夢のあるシーンがその対象物の<概念>としてではなく、そのシーンの対象にたいする<関係>と<了解>として参加する。つまり夢のあるシチュエーションにおいてそこに登場する個々の対象は、すべて<関係>として一括りに<了解>へと直結し、その間、覚醒時の知覚の構造のような内容は持たないということになる。従って、僕たちが良く体験するほんの一、二分の睡眠時の間に見た夢に、長編小説を見た後のような印象を持つのも、このような夢の特徴的な構造によるものと思える。この<関係>と<了解>の構造とその連鎖をDeam Language と言い換えていいと思う。

 そして、重要なのは何故、賢治が”鳥を捕る人”で先ほど述べたような表現をとったかという点だろう。これは、角川文庫の注釈で大塚常樹氏が述べているように、仏教では特に、食べるために殺生する者を罪深いとして、仏道者に彼らとの交際を禁じる事が多いため、賢治はさらに深く許容範囲の広い仏教を望みイメージしていたものと思われる。従来の鳥を殺生するシーンのイメージをより抽象化することにより、”鳥を捕る人”のイメージを救いたいと願った結果、鷺を「血」の通わない無機物に限りなく近づけ、さらに既視感のない表現をとることによって抽象度を強めたと思える。無論、無意識にである。この点、彼の傾倒した法華経より浄土真宗の親鸞の思想に近かったようにも思える。

 ここで賢治を取り上げたのも、美術に関わる者として「死」をどう作品のなかに表現出来るか?という問いに繋げたかった訳だが、COLUMN の欄では難しいので、またの機会へ回したい。

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