1999年流行語大賞及び広告大賞   12月22日

 年末恒例となった、流行語大賞と広告大賞が公表された。今年の流行語大賞「ブッチホン」に関しては、行くところ行くところで「何じゃそれ!」と行った声が聞かれた。小渕首相があっちこっち電話しまくって票をとりまとめたのでは?と、勘ぐりたくなるような間抜けな決定だった。誰が考えても今年の流行語大賞は「カリスマ・・・・・・」でしょうが。また、広告大賞は(TBS・天野氏評)、その時代の最もMASな表現なので毎年興味深く観ているが、バブルを境にどうも低調だ。以前はサントリーといい、mita工業といい、レベルの高いコマーシャルがあったが、近年はさっぱりだ。それどころか、不景気のあおりでサラ金業者がやたら元気で、コマーシャルも結構面白いから困る。これは、電通を代表とする広告会社がコマーシャルを制作しているので当然の結果なのだが。僕の好きな、エステのコマーシャル(キムタク主演)にしても、確かに家庭用ビデオで撮った故の新鮮さはあるが、これとて「フレッシュ」なだけと言えないことはない。言ってみれば、落語家が楽屋で仲間内に聞かせる落語のように「全然面白くないから、玄人の中では逆に可笑しくてたまらない」と言った具合に、倒錯したベクトルを匂わせる趣がある。MASや普遍性を志向する姿勢は、何か胡散臭さが匂うのだが、さりとて皆がそれぞれ小さなタコ壺に入っていけば済むと言うものでもない。”ヨーロッパに追いつき追い越せ”といった合い言葉が生きていた頃は、欧米のコンセプトをコピーしさえすれば、時には彼らより完成度の高い表現が可能だったが、今は僕ら日本人が独自の方法論を提出しなければならないからきつい。僕がここ十年ほど取っている方法論(姿勢)は、種を明かすと、もちろん「新しさ」ではなく(新しさを指向すること自体もう古い)、どちらかと言うと「フレッシュさ」に近いものだ。具体的には表現の時間軸を複数持ち、それらを混在させると言う方法を取っている。MODERNなるものは、直線的で一方向性しか持たず、結果として均質な時空間しか生まれない。どこを切っても、金太郎飴のように同じ表情しか現れず、それ故、そのコンセプトだけ分かってしまえば、それで納得できてしまうものであった。僕は、同じ土俵にいくつか違った時間軸のものを乗せることによって、今までの見せ方と違った表現を成立させることが出来ると考え実行している。これとて、際際の危うさと隣り合わせているのも確かなので、安穏ともしていられない。何れにしても表現に携わる者は(勿論、新しい商品を生み出そうとしている者も含まれるのは言うまでもない)、当分の間試行錯誤を繰り返し、低迷する経済に引きずられることのないように元気でいたいものだ。

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